0系 塗装変更

さらば憧れの新幹線0系 「夢の超特急」は終着駅へ

 丸みを帯びた0系先頭車両と、細長く伸びたN700系の先頭車両が近づく。ヘリコプターで待機した兵庫県播磨町上空。ファインダーの中で青と白の流れが交錯する。
 下り「こだま639号」と上り「のぞみ4号」は、3秒足らずですれ違っていった。0系はさらに姫路駅到着までに、臨時列車の500系や100系「こだま」と「ランデブー」。だがこうした光景も、あと半年で見納めとなる。0系が今年11月末に引退するからだ。
 新幹線0系車両は東京オリンピック開催直前の昭和39年10月1日、東海道新幹線開業と同時に運用が開始された。中でも「ひかり号」は、まだ飛行機が珍しかった時代、途中停車駅を名古屋と京都のみとして東京-新大阪間を3時間10分で結び、「夢のようだな」と歌に歌われた。
 狭軌と呼ばれる在来線よりレールの幅が広い標準軌を採用した16両編成で、高速化とともに大量輸送も実現。昭和45年の大阪万国博覧会では、半年間の入場者数6000万人のうち、約1000万人が利用した(フジサンケイビジネスアイ5月12日付より)。昭和61年までに3216両が製造された。最高速度は時速220キロと、今となっては控えめ。それでも愛嬌のある丸顔は、今も根強い人気がある。
 21年間新幹線に乗務するJR西日本の日高辰廣運転士(54)は「初めて0系を運転したときは緊張してロボットみたいにガチガチだった」と話す。幼かった私にとっても0系は憧れの的。しかし、宮崎県の片田舎で育った私は、実際に新幹線を見ることも乗ることもできなかった。
 そんな私が、初めて新幹線に乗ったのは8歳の時。昼なお薄暗い博多駅のホームに、煌々(こうこう)とヘッドライトを照らしながら滑り込む0系の姿に胸がときめいた。広くきれいなシートに弟と並んで座った。食堂車に冷水器、車内電話と見るものすべてが珍しいものばかり。ローカル線のディーゼルカーにしか乗ったことのない私にとって0系新幹線は最高にカッコよかった。
 現在、営業車両で残る0系は5編成。各駅停車の「こだま」として山陽新幹線だけで走行している。しかし昨年のN700系の登場に伴い、500系が「こだま」として運用されることが決定。0系は新型車両に押し出される形で線路を譲り、全車廃止となる。
 引退を記念して3編成がデビュー当時の姿に変更されることになり、4月以降、順次塗装を変更中。オリジナルカラーの0系は、改めて鉄道ファンの注目を浴びている。「愛嬌ある丸い顔でよく働いてくれた。引退後はゆっくりしてもらいたい」と日高さん。44年間走り続けた「夢の超特急」の終着駅が、今ゆっくりと近づいている。

産経新聞 2008年6月7日]