しなの鉄道① 3年目の累積赤字21億円

トンネルを抜けて:しなの鉄道の今昔/1 3年目の累積赤字21億円に /長野

◇見込み違いの出発
 第三セクターしなの鉄道」(上田市、井上雅之社長)は、07年3月期の決算で、2期連続の黒字を計上するなど経営はようやく軌道に乗ってきた。その中で6月には平均12・5%の運賃値上げを実施する。その背景には、少子化に伴う旅客人員の減少や北陸新幹線長野駅以北の延伸による並行在来線問題などがある。債務超過が続いた長い「トンネル」を抜け、改革も一段落した今、しなの鉄道はどこへ向かおうとしているのか。その現状を追った。
 07年3月期決算の会見があった今月11日午前、姿を現した井上雅之社長は、開口一番「2期連続の黒字になりました」と話した。その場に居合わせた和田徹・経営企画課長は「しな鉄が普通の会社になった」と感慨深げにうなずいた。
 しなの鉄道は96年5月、長野新幹線開業に伴い、全国初の並行在来線を担う第三セクターとして発足。県が75%、沿線市町村などが25%を出資して、資本金23億円で出発した。
 だが、これまでの道のりは平たんとは言えなかった。JR信越本線「軽井沢―篠ノ井間」の経営分離に伴って、発生する駅や鉄路など鉄道資産の103億円を全額、県から借り受けた。さらに、初期投資として政府系金融機関や県内の銀行から23億円を調達し、合わせて126億円の赤字を抱えての出発だった。それでも県などが行った開業時の需要予測では、年間2%ずつ旅客人員が増加。県からの借入金の償還が始まる07年度には2億円の黒字を計上するというものだった。
 しかし、それは見込み違いだった。現実の旅客人員は計画とは逆に年間2%ずつ減少した。その結果、開業3年目の累積赤字は資本金の23億円に近づく21億円にまで膨らんだ。当時の経営企画課長だった飛沢文人さんは「長野五輪が迫り、時間がなかった。運輸省(当時)からは『10年で黒字になればいい』と言われていた。『走りながら考えればいい』というのが関係者の共通認識だった」と話す。
 見かねた県は01年2月、県や沿線市町の首長らを集めて経営改革検討委員会を設立した。提言書に盛り込まれたのは「公的支援」ではなく、「極限までの自助努力による収益改善」だった。財政状況の厳しさを増していた県は「自助努力をした上で適正な支援をする」と突き放した。しな鉄はまたもや見込み違いを強いられた。
 債務超過の責任をとって01年11月、山極達郎社長(当時)は辞任した。課題の解決には「劇薬」による改革が必要だった。

毎日新聞 2007年5月29日]