しなの鉄道② 改革

トンネルを抜けて:しなの鉄道の今昔/2 生き続ける“杉野改革” /長野

◇社内にやる気と勇気
 「何だこの契約書は」。03年夏の昼下がり。社長室に呼ばれた小林茂夫営業課長は、当時の杉野正社長の怒気を含んだ声に圧倒された。駅構内の売店JR東日本が運営しており、同社には収益の数%しか入らない契約だった。その契約書を杉野前社長は破り捨てた。「これが改革なのか」と小林課長は感じた。
 同社の累積債務は、03年度決算で損失が資本金をおよそ1億円上回る約24億円にまで達し、一般企業なら“倒産”状態となった。そのため「再建には民間の経営感覚が必要」と田中康夫前知事が知人を通じて、旅行会社「エイチ・アイ・エス」の開発管理室長だった杉野前社長を招き入れた。
 02年6月に就任した杉野前社長は20もの改革メニューを提示した。「イメージアップ、セールスアップ、コストダウン」の3項目に分け、社員に徹底させた。社員は彼を「劇薬」と呼んだ。車掌をしていた柴田公成さんは「コスト削減に聖域がなかった」と振り返る。
 仕入れは契約済みのものを含めて30%減を目標にした。上田駅中軽井沢駅の改札などの業務の外部委託、ワンマン運転を導入。杉野前社長が破棄した売店の契約は無償譲渡にこぎつけた。ビール4社と提携した「ビアトレイン」など企画列車を走らせ、収入も強化。就任前の02年度の経常損益は9億2400万円の赤字だったが、04年度には同8100万円まで減少させた。現在、経営企画課に在籍する柴田さんは「目に見えて効果が出て社内にやる気と勇気がわいた」。
 だが、“杉野改革”は本人の辞任により、わずか2年で幕を閉じた。駅などの資産会社と運営会社を分ける「上下分離方式」を主張する杉野前社長と、資産価値を再評価しその差額を出資する「減損会計」を導入したい田中前知事とで意見が対立したのだ。
 当時、県交通政策課で担当していた和田徹さんは「財政状況が悪化していた県は、支援が長期化する上下分離方式は支持できなかった」と振り返る。杉野前社長が去ってから2年後の05年度決算は営業収支が1億9000万円、経常収支が1億1400万円と初めて黒字を計上した。“杉野改革”のマインドは今も社員の中に生き続けている。

毎日新聞 2007年5月30日]